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● | ミーシャのデザインは1977年に約100パターンを6ヶ月掛けてデザインされ、そして1980年のモスクワオリンピックに先駆けて1977年12月19日に世界中にお披露目されました。そのミーシャをデザインした人がモスクワの絵本画家ヴィクトル・チジコフです。 |
● | 時は過ぎ2011年2月26日、2014年開催の冬季ソチ五輪マスコット3体が発表され、その中のホッキョクグマのマスコットは立ち姿で青いしま模様のマフラーをつけている。これに対し、チジコフ氏は翌27日、ロシアのラジオ局「モスクワのこだま」のインタビューで「目、鼻、口、微笑が(ミーシャから)引き抜かれている。気に入らない」と不快感を示した。クマはロシアの象徴的な動物。新旧のマスコットは体の色や耳の大きさは異なるが、ポーズや顔の中央部分が似ているとの指摘がある。ソチ五輪組織委のチェルヌィシェンコ委員長は28日、著作権について「問題ない」と指摘し、「五輪のため両マスコットがいっしょに働いてくれることを望む」と述べた。その言葉通り閉会式ではミーシャの映像や、モスクワ五輪の閉会式のミーシャのように「ホッキョクぐまの涙」の演出があり世界中に感動を与えてくれたので結果的には良かったのでは!? |
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■チジコフのプロフィール※「ペトヤとポタプほしをつくる」の紹介ページより■ |
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ロシア名 |
Виктор Александрович Чижиков |
英語名 |
Victor Alexandrovich Chizikov |
日本語名 |
ヴィクトル・アレクサンドロヴィチ・チジコフ |
生年月日 |
1935年9月26日 |
出生地 |
旧ソ連モスクワ生まれ |
学歴 |
モスクワの専門学校卒 |
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■チジコフの代表的作品■ |
表紙 |
タイトル |
文 |
出版社 |
発行 年度 |
備考 |
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333匹のねこ (ヴィクトル・チジコフ展) |
A.ウサチョーフ |
Эгмонт Россия (ロシア) |
'05年 |
- |
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ビーニー・プー (くまのプーさん) |
A.ミルン(原作) |
Дрофа (ロシア) |
'04年 |
- |
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ドクトル・アイボリット |
K.チュコフスキー |
Дрофа (ロシア) |
'03年 |
- |
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男とクマ |
A.H.トルストイ |
Малыш (ロシア) |
'92年 |
- |
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ペトヤとポタプ ほしをつくる 日本語版 |
V.A.チジコフ 岡本一郎 訳 |
学習研究社 (日本) |
'92年 |
400円(税別) |
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ペトヤとポタプ 日本語版 |
V.A.チジコフ 岡本一郎 訳 |
学習研究社 (日本) |
'86年 |
330円(税別) |
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ペトヤとポタプ ほしをつくる |
V.A.チジコフ |
(ソ連) |
'86年 |
ペトヤとポタプ ほしをつくる ロシア語原語版 |
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ペトヤとポタプ |
V.A.チジコフ |
(ソ連) |
'86年 |
ペトヤとポタプ ロシア語原語版 |
● | A.ミルン原作「くまのプーさん」はディズニー版やミルン版 が有名ですが、ロシア版は「こぐまのミーシャ」の生みの親チジコフが描いています。 |
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■チジコフより日本のみなさまへ※「ペトヤとポタプほしをつくる」巻末より■ |
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● | 1917年のロシア革命(3月革命)〜1922年世界最初の社会主義政権誕生の13年後に生まれ、第2次世界大戦中に少年期を過ごしたチジコフが、1985年に始まったペレストロイカによるソビエト連邦の崩壊から民主化移行の激動の時期にしたためた重みのある言葉です。 |
※ | チジコフのメッセージの全文が読めないブラウザ場合はここをクリックして下さい。TEXTが出てきます。 |
※ | アンドレイ・タルコフスキー監督(ソ連)1972年のSF映画「惑星ソラリス-СОЛЯРИС」(未来都市の道路の場面は東京の首都高速でロケをしている)のイントロ風にしてみました。 |
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■チジコフの秘密■ |
● | 画家チジコフは色盲でした。芸術学校の学生時代は、ずっとそのことを隠し、知っていたのは後にチジコフ夫人となる恋人だけだったそうです。彼女はチジコフの目となり、色の具合を教えたりしたそうです。いまでもチジコフのパレットには色の名前が横に書かれていて、そのメモ書きを元にイラスト色彩を決めています。「色」を詳細に認識できない目をもちながらも、チジコフは素晴らしい作品を次々に生み出し、今でも描き続けているということです。 |
● | 色盲であるにもかかわらず、旧ソ連の威信をかけたモスクワオリンピックの公式マスコットのデザインを依頼されるまでになるとは素晴らしいです。「ミーシャ」はチジコフ夫妻の愛の結晶です。 |
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