(ソ連/ロシア) |
![]() 我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝 |
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・ | 1990年ノーベル平和賞を受賞したゴルビーことゴルバチョフはミーシャの愛称もよく知られています。 |
・ | モスクワ大学法学部卒。ソビエト社会主義共和国連邦最後の最高会議幹部会議長兼ソビエト共産党中央委員会書記長、最初で最後のソビエト連邦大統領。1985年3月11日、50代の若さでソビエト共産党中央委員会書記長に就任、大胆なグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)運動を進めた。 |
・ | 1979年12月よりアフガニスタンに侵攻・駐留していたソ連軍を1986年7月に撤退させ、同年10月、アイスランドレイキャビクでアメリカ大統領R.レーガンと会談し、その後のマルタ会談で約半世紀続いた冷戦を終結させた。 |
・ | 1991年8月19日にクーデターにより拘束され、結果的にクーデター自体は失敗に終わったが、連邦政府の求心力は低下。同年末、政治的ライバルとなっていたエリツィン・ロシア共和国大統領がロシア共和国のソ連からの脱退を進めたことによりソ連が崩壊すると大統領を辞職。 |
・ | 1991年12月より、国際社会経済・政治研究基金(ゴルバチョフ基金)を設立し自ら会長に就任した。また、グリーンクロスインターナショナルの会長として国際環境保護運動に積極的に進めた。2001年11月ロシア社会民主党党首に就任したが、2004年5月22日には社会民主党の党首を辞職すると発表、事実上の政界引退となった。著書に「ペレストロイカ」等。 |
・ | 2022年8月30日、患っていた腎臓疾患のために入院先のモスクワの中央臨床病院で死去した。91歳。ソビエト連邦最高指導者経験者で最も長寿の最高指導者であった。フルシチョフやエリツィン等が眠るノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。 |
・ | 関連サイト:Горбачев Фонд (ゴルバチョフ基金 ロシア語) |