● | 1896年近代オリンピックの第1回大会は古代オリンピックの発祥地ギリシャの首都アテネから始まった。そして4年に1度、各国で開催される予定であったが、ギリシャ政府は永久的に自国で開催することを主張していたため4年に1度の大会の中間年にギリシャで開催されることに決定した。 |
● | 1900年パリ大会はパリ万博のイベントの一つとして開催された。 |
● | 1906年のアテネ大会はギリシャ政府の主張に応え開催された。しかし当時のギリシャは恒常的に政情不安が続いていたため、中間年にギリシャで行われる大会はその後一度も行われなかった。そしてこの大会は戦後、公式の記録から抹消され幻の大会となった。 |
● | 1912年ストックホルム大会から日本は参加した。 |
● | 1916年ベルリン大会は第一次世界大戦により中止されたが、1936年に改めて開催された。 |
● | 1940年に東京大会開催される予定であったが、日中戦争勃発により、日本政府はこの大会をIOCに返上するという不名誉な結果となった。そしてヘルシンキに変更されるも結局第2次世界大戦で中止、 |
● | 1948年改めてロンドン大会は開催され、枢軸国日本・ドイツ・イタリアは参加が認められず |
● | 1956年メルボルン大会は馬術競技のみ検疫の関係でストックホルムで行われた。 |
● | 1960年東京大会はホームの強みで全競技の約1/10の16個の金メダルを獲得した。2004年アテネ大会で全競技の約1/10の金メダル獲得となると、金メダルを約30個獲得しなければならないのでホームグランドとはいえ、東京大会は日本人選手が最も活躍した大会になった。 |
● | 1968年ミュンヘン大会では9月5日パレスチナゲリラが選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃し、イスラエル選手団のレスリングコーチとウエイトリフティングの選手を殺害した後、9人を人質にした。救出は失敗し、銃撃戦の末、人質9人全員とゲリラ5人、警官1人が死亡する大惨事となった。 |
※ | ミュンヘン大会の事件は映画にもなり、有名なところでは、スティーブン・スピルバーグ監督2005年作品の「ミュンヘン MUNICH」が日本でもよく知られています。 |
● | 1980年モスクワ大会では主催国ソ連のアフガニスタン侵攻によりアメリカがこの大会を辞退したことで、日本政府はアメリカに追随し辞退してしまい、また日本人代表選手は個人としての参加も認められなかった。 |
● | 2004年アテネ大会は開催直前インフラ整備の遅れが問題視されるも、日本人代表選手団としては過去最多のメダルを獲得し盛り上がった。 |
● | 2008年北京大会は中国国内の人権問題や環境問題などで一部ではボイコットの声も挙がるも、過去最高の参加国・参加人数・競技数を記録。現時点では最後の実施となるソフトボール日本代表は、準決勝・3位決定戦・決勝戦の3試合で413球を投げ抜いた上野由岐子の活躍などにより悲願の金メダルを獲得した! |
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