| ● | ソ連は1952年のヘルシンキ大会でオリンピックに初参加してから、常に国別のメダル争いで上位に立ち、その集大成として、首都モスクワでの開催を目指すようになった。そして1976年夏季大会に立候補し、1970年5月12日にアムステルダム(オランダ)行われたIOC総会の第1回投票で首位に立ったが過半数を獲得できず最終投票でモントリオール(カナダ)に敗れた。 |
● | 一方、オリンピック自体は巨大化の弊害が見え始め、1972年のミュンヘンオリンピックでのテロ事件などもあり、開催都市への負担が大きくなってきた。1974年10月23日にウィーン(オーストリア)行われたIOC総会で、スポーツ大国のソ連が運営を全面的に担うというモスクワ開催は支持を集め、ロサンゼルス(アメリカ)を敗り1980年夏季大会の開催が決定された。 |
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■1980年夏季五輪開催地選考投票結果■ |
都市 | 国 | 最終 |
モスクワ | ソ連 | 39 |
ロサンゼルス | アメリカ | 20 |
■モスクワオリンピック開会式■ |
● | 近代オリンピックで初めて社会主義国が舞台の第22回モスクワ大会は、1980年7月19日クレムリンの大時計が午後4時(モスクワ時間)の時報を打ち鳴らすと、10万人の観衆が埋まるモスクワ市のレーニン中央競技場にファンファーレが鳴り響いて開会式が始まった。 |
● | そしてキラニンIOC会長、ノビコフ・モスクワ五輪組織委員会会長の出迎えを受けて、ブレジネフ・ソ連最高会議幹部会議長(党書記長)が着席した。ショスタコービッチ作曲による大会の公式テーマ音楽「祝典序曲」が流れる中、オリンピック発祥のギリシャを先頭に開催国のソ連まで81カ国・地域が入場行進した。 |
● | 応援席ではこの大会の公式マスコットミーシャの人文字が「ЖЕЛАЮ УСПЕХА(成功を祈ります)」と、この大会に参加した全選手を応援するように現れた。 |
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■モスクワオリンピックデータ■ |
開催国 |
ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ連) Союз Советских Социалистических Республик (СССР) |
開催地 |
モスクワ(ソ連の首都) Москва |
正式名称 |
第22回モスクワオリンピック1980 XXII летние Олимпийские игры Москва 1980 |
主会場 |
レーニン中央競技場(現ルジニキスタジアム) Центральный стадион имени В. И. Ленина |
開催期間 |
1980年7月19日〜1980年8月3日 19 июля 1980 - 3 августа 1980 |
実施競技種目数 |
21競技203種目 |
出場国・地域 |
80ヶ国・地域(なお入場行進は81ヶ国・地域) |
参加選手数 |
5217人(女性:1124/男性:4093) |
開会宣言 |
レオニード・イリイッチ・ブレジネフ(ソビエト共産党書記長=国家元首) Леонид Ильич Брежнев |
選手宣誓 |
ニコライ・エフィーモヴィチ・アンドリアノフ(ソ連代表男子体操選手) Николай Ефимович Андрианов |
最終聖火ランナー |
セルゲイ・アレクサンドルヴィチ・ベロフ(ソ連代表男子バスケットボール選手) Сергей Александрович Белов |
公式マスコット |
ミハイル・バターピッチ・タプテキン (ミーシャ) Михаил Потапыч Топтыгин (Миша) |
公式テーマソング |
D.D.ショスタコーヴィチ「祝典序曲 作品96」 Д.Д.Шостакович/Праздничная увертюра, op. 96 |
応援歌 |
ハーブ・アルパート「1980」/ジンギスカン「モスカウ」/西城秀樹「俺たちの時代」 |
■モスクワオリンピック関連リンク■ |
● | ルックJTBロシア | 安心の大手旅行代理店でもインターネットなので格安 |
● | sochi2014 | ソチオリンピック公式サイト(英・仏・露語) |
● | 在日ロシア連邦大使館 | 在日ロシア連邦大使館ホームページ(日本語) |
● | ソチオリンピック2014 | サイト内ソチオリンピック特集 |
● | こぐまのミーシャ | モスクワ五輪マスコット「こぐまのミーシャ」のサイト |
※ | ロシア旅行はビザが必要です。観光ビザの取得には、旅行会社を通してロシア滞在中の宿泊と、交通手段を全て予約し、代金支払いの後に受取るバウチャー(予約証明書)が必要です。 |
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■ソチオリンピック関連グッズ■ |
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■ロシア関連書籍やメディア■ |
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