● | 1896年第1回アテネ大会からサッカー競技は非公式で試合が行われました。 |
● | 1908年ロンドン大会から公式な競技として採用され、五輪のアマチュア規定の下、イギリスは最強チームを編成できませんでしたがサッカー発祥地の面目を保ち金メダルを獲得できました。 |
● | 1920年アントワープ大会決勝戦ハーフタイム中、チェコスロバキアが審判に抗議し途中棄権し、対戦相手のベルギーの金メダルとチェコスロバキアの失格が決定。その後、スペインとオランダとの間で2位決定戦が行われスペインが勝利しました。 |
● | 1932年ロサンゼルス大会で競技種目からサッカーが外されたのは、1930年にワールドカップが始まり、徐々にその権威を高めていくと、FIFAはアマチュアだけに出場資格が認められたオリンピックに対し興味を持たなくなったことが背景にあります。 |
● | 1948年ロンドン大会以降、FIFAがアマチュア主体のオリンピックからプロフェッショナル主体のワールドカップに完全にその軸足を移すようになりました。そこで台頭してきたのが、国家からの報酬により、競技に専念できる環境が整えられながらも、身分はアマチュアとして維持できるステート・アマチュア制を採る、ソ連を始めとする東ヨーロッパの社会主義諸国(東側諸国)です。 |
● | 1952年から1980年まで、東側諸国が8つの金メダルを独占し、その他のメダルも、銀はデンマークが1回、銅はスウェーデンと日本の1回以外ほとんどのメダルを東側諸国が獲得しました。 |
● | 1968年メキシコ・シティ大会で日本はアジア初のメダル(銅)を獲得、釜本邦茂さんが得点王に輝きました。 |
● | 1972年ミュンヘン大会3位決定戦では、ソ連と東ドイツが延長戦の結果2-2で終了し、双方に銅メダルを授与しました。 |
● | 1984年ロサンゼルス大会よりIOCによるプロ参加の容認はオリンピックにおけるプロ解禁と言う潮流の一環でしたが、FIFAとIOCの間に新しい対立を引き起こしました。ワールドカップ大会の威厳を守りたいFIFAと、集客性に富んだサッカーの充実を図りたいIOCの利害の対立です。そこでヨーロッパ・南米のチームでワールドカップに出場した事のある選手はオリンピックに出場させないという妥協点に落ち着きました。結果として各国のオリンピック代表チームは若年世代で構成されたチーム編成となり、後の年代別代表の一環としてのオリンピック代表の原型が作られました。 |
● | 1992年バルセロナ大会からは現在まで続く23歳以下の規定が導入され、オリンピックにおけるサッカー競技はU-17世界選手権、ワールドユースに続く、年代別世界選手権の一環として再編成される事になりました。 |
● | 1996年アトランタ大会より女子サッカーが正式種目となった。 |
● | 2016年南米初のリオデジャネイロ大会では開催国ブラジルが金メダルを獲得。開催国が(男子)サッカー種目で金メダルを獲得したのは、1920年アントワープ大会で開催国ベルギーが金メダルを獲得して以来96年ぶり! |
※ | サッカーワールドカップ歴代優勝国等の情報はFIFAワールドカップへ。 |